IAPH 国際港湾協会

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沿革

「国際港湾協会の歩みと日本の港湾界」

<構想から行動へ>
第二次大戦後の復興の只中、当時の日本港湾協会会長松本学氏を中心に、神戸市長原口忠次郎氏、運輸事務次官秋山龍氏等は、国際的な港湾の協力と連帯の重要性を認識し、国際港湾社会の組織化を目指しました。先進的な構想力と驚異的な行動力によって1952年(昭和27年)神戸に主要港を招き、第1回国際港湾会議を開催し、恒久的な国際的組織の設立について決議しました。さらに3年後、1955年(昭和30年)、国内外の関係者から賛同を得て、ロスアンゼルスで第2回国際港湾会議が開催され、国際港湾協会が正式に創立されました。

松本学長

松本学会長

原口市長

原口忠次郎市長

秋山龍氏

秋山龍氏

<試練を乗り越える>
発足以来、会費を米ドル建てとしていた協会財政は、1971年(昭和46年)のドルショックにより、破局的な打撃を蒙りました。当時の事務総長秋山龍氏は、財政建て直しを図るべく運輸省の指導のもと日本船舶振興会、日本海運振興会、日本海事財団、主要港湾管理者及び海事関係産業界からの資金の協力を得て、1973年(昭和48年)1月(財)国際港湾協会協力財団を設立し、IAPHが数次にわたる会費値上げ、本部事務局の能率向上、経費節約等により、財政的自立するまでの8年間、IAPH本部事務局の事務、運営を担いました。その後IAPHと財団の協力関係は一層強固なものになっています。

1952年

1952

神戸で開催された初回の国際港湾会議において、当時の日本港湾協会会長松本学氏及び、神戸市長原口忠次郎氏のイニシアチブにより、世界港湾の恒久的機関をつくるという決議がなされました。

1955年

1955

3年後にロスアンゼルスで開催された第2回国際港湾会議において「国際港湾協会―IAPH」の設立が決議され、これが第1回IAPH総会となりました。当初の参加国は15カ国でした。

1956年

P&H

協会機関誌「PORTS & HARBORS」が年4回発行の英文季刊誌として発行開始されました。

1963年

世界に会員が広がる中、世界3地域制(アフリカ/ ヨーロッパ, 南北アメリカ, アジア/オセアニア)が導入されました。

1966年

正会員が初めて100港を越え、賛助会員を併せ全会員数が208になりました。

1967年

1967

第5回IAPH東京総会が、高松宮宣仁親王殿下御臨席のもと開催され、同年、IMOから非政府諮問機関として公式に認められました。

1968年

機関誌「PORTS & HARBORS」が年10回発行になりました。

1973年

ニクソンショック、第一次オイルショックによるドルの下落、国内インフレ等、国際的通貨変動による協会の財政危機に対応するため、日本の港湾・海事関係者により、(財)国際港湾協会協力財団が設立されました。

1978年

懸賞論文制度が開始され、翌1979年に第1回の表彰が行われました。最優秀賞はIAPH初代事務総長の名を冠して「秋山賞」と呼ばれています。

1980年

正会員が200港を突破しました。     

1981年

名古屋において第12回IAPH名古屋総会が開催されました。協会設立25周年を迎え、その祝賀もあわせて行われました。

1997年

1997

第20回ロンドン総会では、チャールズ英皇太子より祝辞が寄せられました。

1999年

マレーシア・クアラルンプール市において700名以上の参加者が集まり、第21回総会が開催されました。活動活性化のため、常設の長期計画委員会が創設されました。
同年12月本部事務局が現在の竹芝地域に移転しました。

2001年

2001

正会員は225港、賛助会員は115を数えるに至りました。

カナダ・モントリオール総会には800名を超える参加者が集い、名古屋港の染谷昭夫氏が会長に選出されました。

2003年

アフリカの大地ではじめての総会が南アフリカの ダーバンで開催されました。900名を超える参加者が集いました。
概要はここをクリックしてください。

2003
2003

2005年

2005

中国本土ではじめての総会が上海で開催されました。
概要はここをクリックしてください!
この年は創立50周年を迎え、東京を皮切りに世界各地で記念式典が開催されました。

2007年

2007年の春には、米国テキサス州ヒューストンにおいて第25回総会が開催されました。
ヒューストンでは1977年にも第10回総会が開催されていますので、30年ぶりのヒューストン総会でした。